幸恵さんとメイさんの物語
昨年出版していただいたノンフィクション物語二冊、
幸運に歩んでいるようです。
『知里幸恵物語 アイヌの「物語」を命がけで伝えた人』PHP研究所
【JBBY(一般社団法人日本国際児童図書評議会)が海外へ発信する日本の子どもの本】
ブックリストに掲載していただきました。
http://www.jbby.org/news/index.html?c=4#236

『わたしが今日も、泳ぐ理由 パラスイマー一ノ瀬メイ』学研プラス
公益社団法人全国学校図書館協議会選定 第50回夏休みの本(緑陰図書)に
選定していただきました。
http://www.j-sla.or.jp/recommend/natsuyasumi-50.html

幸恵さん、メイさん、ありがとうございます!
たくさんの子どもたちが、
あなたがたを身近に感じてくれたら、とってもうれしい!
幸運に歩んでいるようです。
『知里幸恵物語 アイヌの「物語」を命がけで伝えた人』PHP研究所
【JBBY(一般社団法人日本国際児童図書評議会)が海外へ発信する日本の子どもの本】
ブックリストに掲載していただきました。
http://www.jbby.org/news/index.html?c=4#236

『わたしが今日も、泳ぐ理由 パラスイマー一ノ瀬メイ』学研プラス
公益社団法人全国学校図書館協議会選定 第50回夏休みの本(緑陰図書)に
選定していただきました。
http://www.j-sla.or.jp/recommend/natsuyasumi-50.html

幸恵さん、メイさん、ありがとうございます!
たくさんの子どもたちが、
あなたがたを身近に感じてくれたら、とってもうれしい!
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ある日の読書会
その日は、月に一度の読書会だった。
メンバーは5人。ささやかな人数だけれど、すでに30年近くの歴史がある。
会場である図書館の読書会室の空気が、
ほどよくひきしまるのが心地よい。
脳細胞がくすぐられ、うふふうふふと声をあげる。
その日の読書会のテーマブックは、『ぼくたちもそこにいた』。
ハンス・ペーター・リヒター作 上田真而子訳 岩波少年文庫

名作『あのころはフリードリヒがいた』の続編だ。
ドイツの人々、少年少女までもが、ヒトラー体制に組み込まれ、
加害者となり戦争に加担してさまを、淡々と克明に描いている。
「今の日本、恐い。○×首相の顔が、ヒトラーに見えてきた」
「あの大きな戦争であれだけの被害を受け、また加害者にもなったというのに、
日本は歴史からなにも学んでないのかね」
「後の世に『なんであの流れを止められなかったの?
だれも反対しなかったの?』と責められそう。孫、ひ孫に顔向けできないわ」
「共謀罪、あれによっていろんな自由がせばめられてしまって」
「まっとうな市民運動であっても、もう壊滅状態だな」
「署名運動もほとんどなくなってしまった」
「となり近所の目が恐いからなあ」
しかし、と最長老の元図書館長が、静かにいった。
「ありがたいことに、図書館ではまだ自由が守られている」
そのとき、読書会室のドアが、遠慮がちにノックされた。
「あのう、みなさん、もう少しお静かに話したほうが・・・」
顔なじみの司書さんが顔を出した。
「え? 大きな声なんて、出していませんよ?」
わたしたちは首をかしげた。
司書さんは、両手をもみしぼりながら小声で告げた。
「それに、そのう、本の内容よりも、文体とか、そういうお話に限ったほうが・・・
というより、その本をテーマにしないほうが・・・」
わたしたちは、はっと顔を見合わせた。
「盗聴器・・・?」
司書さんの背後から、黒い影。
「どきなさい。よけいなことをいわないように」
司書さんを押しのけて姿を現したのは、5人の男女。
「暮らしの安全守り隊」。
のどかなネーミングとはうらはらの、目深に被った制帽、
かっちりと肩の張ったカーキ色のロングコート姿だ。
なかの一人は、知人だった。
かつていっしょに、集団的自衛権反対のデモで街を歩いたっけ。
あの人がいつのまにこんな・・・。
「全員、外に出なさい」
隊員が、わたしたち一人ずつにぴったりと張り付く。
図書館にいた人たちが、目をそらしながら書架の陰に隠れる。
司書さんたちの目は真っ赤だ。
図書館の裏口には、カーキ色の小型の車が5台。
わたしたちは一人ずつ乗せられた。
車がすべり出す。
永田町へと。
こんな時代がやってくる・・・?
ミニプラカード。
お友だちの作家さんが作ってくれました。
いつも使っているリュックにつけています。

猫ちゃんの画像のものは、
「肉球新党」。
「猫が幸せに暮らせる社会は、人にも優しい。
だから、戦争に反対、原発にも反対。
そして、動物と人が共生できる社会を」を掲げる市民団体です。
メンバーは5人。ささやかな人数だけれど、すでに30年近くの歴史がある。
会場である図書館の読書会室の空気が、
ほどよくひきしまるのが心地よい。
脳細胞がくすぐられ、うふふうふふと声をあげる。
その日の読書会のテーマブックは、『ぼくたちもそこにいた』。
ハンス・ペーター・リヒター作 上田真而子訳 岩波少年文庫

名作『あのころはフリードリヒがいた』の続編だ。
ドイツの人々、少年少女までもが、ヒトラー体制に組み込まれ、
加害者となり戦争に加担してさまを、淡々と克明に描いている。
「今の日本、恐い。○×首相の顔が、ヒトラーに見えてきた」
「あの大きな戦争であれだけの被害を受け、また加害者にもなったというのに、
日本は歴史からなにも学んでないのかね」
「後の世に『なんであの流れを止められなかったの?
だれも反対しなかったの?』と責められそう。孫、ひ孫に顔向けできないわ」
「共謀罪、あれによっていろんな自由がせばめられてしまって」
「まっとうな市民運動であっても、もう壊滅状態だな」
「署名運動もほとんどなくなってしまった」
「となり近所の目が恐いからなあ」
しかし、と最長老の元図書館長が、静かにいった。
「ありがたいことに、図書館ではまだ自由が守られている」
そのとき、読書会室のドアが、遠慮がちにノックされた。
「あのう、みなさん、もう少しお静かに話したほうが・・・」
顔なじみの司書さんが顔を出した。
「え? 大きな声なんて、出していませんよ?」
わたしたちは首をかしげた。
司書さんは、両手をもみしぼりながら小声で告げた。
「それに、そのう、本の内容よりも、文体とか、そういうお話に限ったほうが・・・
というより、その本をテーマにしないほうが・・・」
わたしたちは、はっと顔を見合わせた。
「盗聴器・・・?」
司書さんの背後から、黒い影。
「どきなさい。よけいなことをいわないように」
司書さんを押しのけて姿を現したのは、5人の男女。
「暮らしの安全守り隊」。
のどかなネーミングとはうらはらの、目深に被った制帽、
かっちりと肩の張ったカーキ色のロングコート姿だ。
なかの一人は、知人だった。
かつていっしょに、集団的自衛権反対のデモで街を歩いたっけ。
あの人がいつのまにこんな・・・。
「全員、外に出なさい」
隊員が、わたしたち一人ずつにぴったりと張り付く。
図書館にいた人たちが、目をそらしながら書架の陰に隠れる。
司書さんたちの目は真っ赤だ。
図書館の裏口には、カーキ色の小型の車が5台。
わたしたちは一人ずつ乗せられた。
車がすべり出す。
永田町へと。
こんな時代がやってくる・・・?
ミニプラカード。
お友だちの作家さんが作ってくれました。
いつも使っているリュックにつけています。

猫ちゃんの画像のものは、
「肉球新党」。
「猫が幸せに暮らせる社会は、人にも優しい。
だから、戦争に反対、原発にも反対。
そして、動物と人が共生できる社会を」を掲げる市民団体です。
小さな粒でも力持ち
わたしはサクランボが大好き。
でも、安いものではないから、
一年に一度こっそり買って、自室で隠れ食いしていまして、
一度でいいから堂々と、
サクランボをおなかいっぱい食べたいものと願っていました。
その夢が叶う日です。そう、サクランボ狩り。
桜の木に実がなっているのを見るのも、
それを摘み取って食べるのも、未体験ゾーン。
樹上のサクランボが、こんなに赤いとは! うん、木の実って感じ。
スーパーの果物売り場のものとは、輝きが違います。

味が濃い! 酸味は少なく、ジュンジュンとあっまーい!
せっせせっせ、摘んでは口に放り込むうちに、
甘みのせいか、わりとすぐにおなかいっぱいに。
幸せ~。

さて、わたしは果樹園に着くまで、ひそかに心配していました。
種はどうするんだろう、と。
ポリ袋のようなものを渡され、そこに出すのかな?
それとも、地面にプッ? それって抵抗あるなあ。
みっともないし、木の下に種がたまっていくだろうし・・・。
けれども、果樹園のおっちゃんは、さらりといいました。
「種は地面に出してください」あ、いいのか。
種をプッ。プップップッ。全然平気でした。
遠くの山々に見守られた梅雨晴れの果樹園で、
桜の木の恵みを感じながら、プップップッ。
種をどうしたらいのか思案していた自分、小さいなあ。
土に返す、それだけのことだった。
サクランボを食べると思い出す本です。
「チェリー」野中ともそ ポプラ社 2010年

13歳の祥太は、夏休みに親戚筋を訪ねてアメリカ北西部「サクランボの州」へ。
そこで出会ったのは、森の中に暮らす女性モリー。
大人なのに人見知りで無邪気さを持つ彼女に、
祥太は惹かれていくが、実はこの二人には途方もない年の差が・・・。
ありえない設定の、だがこれはたしかにみずみずしい恋の物語です。
サクランボの香りとさわやかな風が、
ありえない年齢差を越えたありえる物語へ、魔法のように昇華させています。
樹上にある実もスーパーのケースの中でも、
あんみつやレモンスカッシュの飾りであっても、
サクランボには、一粒一粒にその大きさを越えた力が宿っている・・・と、
サクランボ好きの考察でした。
でも、安いものではないから、
一年に一度こっそり買って、自室で隠れ食いしていまして、
一度でいいから堂々と、
サクランボをおなかいっぱい食べたいものと願っていました。
その夢が叶う日です。そう、サクランボ狩り。
桜の木に実がなっているのを見るのも、
それを摘み取って食べるのも、未体験ゾーン。
樹上のサクランボが、こんなに赤いとは! うん、木の実って感じ。
スーパーの果物売り場のものとは、輝きが違います。

味が濃い! 酸味は少なく、ジュンジュンとあっまーい!
せっせせっせ、摘んでは口に放り込むうちに、
甘みのせいか、わりとすぐにおなかいっぱいに。
幸せ~。

さて、わたしは果樹園に着くまで、ひそかに心配していました。
種はどうするんだろう、と。
ポリ袋のようなものを渡され、そこに出すのかな?
それとも、地面にプッ? それって抵抗あるなあ。
みっともないし、木の下に種がたまっていくだろうし・・・。
けれども、果樹園のおっちゃんは、さらりといいました。
「種は地面に出してください」あ、いいのか。
種をプッ。プップップッ。全然平気でした。
遠くの山々に見守られた梅雨晴れの果樹園で、
桜の木の恵みを感じながら、プップップッ。
種をどうしたらいのか思案していた自分、小さいなあ。
土に返す、それだけのことだった。
サクランボを食べると思い出す本です。
「チェリー」野中ともそ ポプラ社 2010年

13歳の祥太は、夏休みに親戚筋を訪ねてアメリカ北西部「サクランボの州」へ。
そこで出会ったのは、森の中に暮らす女性モリー。
大人なのに人見知りで無邪気さを持つ彼女に、
祥太は惹かれていくが、実はこの二人には途方もない年の差が・・・。
ありえない設定の、だがこれはたしかにみずみずしい恋の物語です。
サクランボの香りとさわやかな風が、
ありえない年齢差を越えたありえる物語へ、魔法のように昇華させています。
樹上にある実もスーパーのケースの中でも、
あんみつやレモンスカッシュの飾りであっても、
サクランボには、一粒一粒にその大きさを越えた力が宿っている・・・と、
サクランボ好きの考察でした。
亀の食欲が気がかりという平和について
うちの娘のキメラの食欲がない。
我が家の三亀のうちの一匹だ。
例年、五月下旬から半月くらいは産卵期のため(ただし、無精卵)
ほぼ絶食状態となる。
でも、今年はちょっとは食べていて、おなかに卵がいるのやらいないのやら。
トシからいったら、そろそろ卵は打ち止めとなるのかもしれない。
なんせ、御年25歳のおばさん亀だ。
しかし、一昨年、13個もの卵がおなかに詰まってしまい、
都内の医者に駆け込んだことがあるので、
慎重に様子を見なければならない。
試しにピンセットでエサを口に持っていくと、
あーんと口を開けた(この甘ったれめ!)。
よしよし、食べたか。
ところが、「ペッ」。
はきだしたな~!(怒)
何度やっても、「あーん」「ペッ」。
やっぱり食欲ないのかな? それとも喉が痛いとか?
試しに、オヤツ用の糸ミミズをやってみると・・・ばくばく食べてやんの。
単に、いつもの配合飼料に飽きたということか。
爬虫類でも食べ飽きるんだなあ。

アタシのハナシ~?
このあいだ、エサそっくりのフンが水に浮いていた。
キメラったら、それをパクリと口に入れてしまったのだ(汚い話でスミマセン)。
そしたら、大あわてで、ペッペッ。はきだして、前足で口をぬぐっていたっけ。
うん、味覚は正常。でも、視力が弱いのかもしれないね。
そういえばキメラは、水中に浮くエサに食いつくのがヘタだ。
首をひょいと伸ばした先が、エサから1センチほどずれ、
食いそこねることが多い。
亀にも、もちろん個性があり能力差がある。
確実にいえることは、
この子は自然界ではエサが取れずに死んでいくだろう、ということ。
だからといって、人間の保護下でよかったね、とはいえない。
飼い亀が野生より幸せと思うのは、人間の傲りってものでしょう。
せめて、居心地よくしてあげるのが、人間の務めやね。
おなかを見せてひなたぼっこ。

ウソウソ!
亀は絶対に自らひっくり返ったりしません。
なんかのはずみで、うっかりひっくり返ることがあるだけです。
大きな陸亀だと、甲羅の厚みで元に戻れずに、飢え死にしちゃうこともあるそう。
これは、おなかの甲羅を撮るために、わたしがひっくり返しました。
だって、おなか側ってオシャレなんだもーん。
ごめんね、キメラ。協力ありがとう。
ま、平和な我が家です。
我が家の三亀のうちの一匹だ。
例年、五月下旬から半月くらいは産卵期のため(ただし、無精卵)
ほぼ絶食状態となる。
でも、今年はちょっとは食べていて、おなかに卵がいるのやらいないのやら。
トシからいったら、そろそろ卵は打ち止めとなるのかもしれない。
なんせ、御年25歳のおばさん亀だ。
しかし、一昨年、13個もの卵がおなかに詰まってしまい、
都内の医者に駆け込んだことがあるので、
慎重に様子を見なければならない。
試しにピンセットでエサを口に持っていくと、
あーんと口を開けた(この甘ったれめ!)。
よしよし、食べたか。
ところが、「ペッ」。
はきだしたな~!(怒)
何度やっても、「あーん」「ペッ」。
やっぱり食欲ないのかな? それとも喉が痛いとか?
試しに、オヤツ用の糸ミミズをやってみると・・・ばくばく食べてやんの。
単に、いつもの配合飼料に飽きたということか。
爬虫類でも食べ飽きるんだなあ。

アタシのハナシ~?
このあいだ、エサそっくりのフンが水に浮いていた。
キメラったら、それをパクリと口に入れてしまったのだ(汚い話でスミマセン)。
そしたら、大あわてで、ペッペッ。はきだして、前足で口をぬぐっていたっけ。
うん、味覚は正常。でも、視力が弱いのかもしれないね。
そういえばキメラは、水中に浮くエサに食いつくのがヘタだ。
首をひょいと伸ばした先が、エサから1センチほどずれ、
食いそこねることが多い。
亀にも、もちろん個性があり能力差がある。
確実にいえることは、
この子は自然界ではエサが取れずに死んでいくだろう、ということ。
だからといって、人間の保護下でよかったね、とはいえない。
飼い亀が野生より幸せと思うのは、人間の傲りってものでしょう。
せめて、居心地よくしてあげるのが、人間の務めやね。
おなかを見せてひなたぼっこ。

ウソウソ!
亀は絶対に自らひっくり返ったりしません。
なんかのはずみで、うっかりひっくり返ることがあるだけです。
大きな陸亀だと、甲羅の厚みで元に戻れずに、飢え死にしちゃうこともあるそう。
これは、おなかの甲羅を撮るために、わたしがひっくり返しました。
だって、おなか側ってオシャレなんだもーん。
ごめんね、キメラ。協力ありがとう。
ま、平和な我が家です。