霜柱踏むオバサン
春がそこまで来ていますね。
大好きな、冷たいキンキン空気を楽しめるのは、あと数日でしょうか。
寒い時期の楽しみは、朝の散歩です。
なかでも好きなのが、霜柱を踏むこと。
駅近くの我が家のまわりは地面がほとんどありませんが、
15分ほど歩けば空き地や小さな畑に行き着きます。
個人のおうちのものですから、ずかずか入っていくわけにはいきません。
目指すは、道路にはみ出すように盛られた土、その幅10センチもない「大地」。
かけよって、えいやっと霜柱に足を降ろします。

ザックザック。
大げさでなく足の裏から脳天まで快感が突き抜けます。
ザックザック ザックザック
登校中の小学生の列に「ヘンなオバサン!」と笑われても何のその。
ザックザックという感覚、なにかに似ています。
そうだ、野菜や硬いおせんべいを噛み砕く感覚だ、と思い当たりました。
わたしは、硬い食べ物をバリバリ食べるが好き。
十年くらい前まで、冷蔵庫の氷をガリガリ噛んでいました。
・・・歯医者に叱られました。
ゴボウやレンコンの料理は、かなり固めに仕上げていました。
・・・胃が痛くなったりおなかをこわすことが出てきました。
許せない!と思っていた濡れせんべい。
・・・けっこうおいしいことに気がつきました。
つまり、老化ですなあ。
ガリガリバリバリを控えるようになった無念を晴らすために、
霜柱を踏んでいるような気がします。
三月になったら、霜柱とはお別れかな? また来冬を楽しみに。
こんな景色も好き。ていねいに整えられた畑地におりた霜。
まるでパウダーシュガーをふった巨大なチョコブラウニー。

大好きな、冷たいキンキン空気を楽しめるのは、あと数日でしょうか。
寒い時期の楽しみは、朝の散歩です。
なかでも好きなのが、霜柱を踏むこと。
駅近くの我が家のまわりは地面がほとんどありませんが、
15分ほど歩けば空き地や小さな畑に行き着きます。
個人のおうちのものですから、ずかずか入っていくわけにはいきません。
目指すは、道路にはみ出すように盛られた土、その幅10センチもない「大地」。
かけよって、えいやっと霜柱に足を降ろします。

ザックザック。
大げさでなく足の裏から脳天まで快感が突き抜けます。
ザックザック ザックザック
登校中の小学生の列に「ヘンなオバサン!」と笑われても何のその。
ザックザックという感覚、なにかに似ています。
そうだ、野菜や硬いおせんべいを噛み砕く感覚だ、と思い当たりました。
わたしは、硬い食べ物をバリバリ食べるが好き。
十年くらい前まで、冷蔵庫の氷をガリガリ噛んでいました。
・・・歯医者に叱られました。
ゴボウやレンコンの料理は、かなり固めに仕上げていました。
・・・胃が痛くなったりおなかをこわすことが出てきました。
許せない!と思っていた濡れせんべい。
・・・けっこうおいしいことに気がつきました。
つまり、老化ですなあ。
ガリガリバリバリを控えるようになった無念を晴らすために、
霜柱を踏んでいるような気がします。
三月になったら、霜柱とはお別れかな? また来冬を楽しみに。
こんな景色も好き。ていねいに整えられた畑地におりた霜。
まるでパウダーシュガーをふった巨大なチョコブラウニー。

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母から最後に受け取ったこと
週末、奈良へ出かけていた。
母の四九日の法要だ。
母が亡くなったのは、今年の正月そうそうのことだった。
九年に及ぶ要介護生活の後、九十歳で生涯を閉じた。
大往生といっていいだろう。
我が家は、これで親世代の看取りを終えた。
母は、二度の脳梗塞の後遺症で、ここ数年は口にするのは単語のみ、
わたしの顔がわからない日も多かった。
だから、話を聞いてもらったり、
精神的に頼ったりということも、絶えていた。
なのに、この寄る辺ない思いは、なんだろう。
悲しいとか寂しいというものとは違う、
足元はすうすうするような、ひやりとするような感覚。
高層ビルやタワーの展望台に、床の一部がガラスになっているところがあるが、
その上に立ったような不安感? あ、少し近い。
ああ、これが親を亡くすということなんだな。
親を知らずに育った人は、もしや、こんな足元の欠落感を一生抱いているのか。
こんな気持ちが湧くとは思わなかった。
母から最後に受け取った、生の感情に違いない。
写真は、母の病院の裏手の散歩道。
千年の昔を偲ぶことができるような、美しい大和路だ。


母の四九日の法要だ。
母が亡くなったのは、今年の正月そうそうのことだった。
九年に及ぶ要介護生活の後、九十歳で生涯を閉じた。
大往生といっていいだろう。
我が家は、これで親世代の看取りを終えた。
母は、二度の脳梗塞の後遺症で、ここ数年は口にするのは単語のみ、
わたしの顔がわからない日も多かった。
だから、話を聞いてもらったり、
精神的に頼ったりということも、絶えていた。
なのに、この寄る辺ない思いは、なんだろう。
悲しいとか寂しいというものとは違う、
足元はすうすうするような、ひやりとするような感覚。
高層ビルやタワーの展望台に、床の一部がガラスになっているところがあるが、
その上に立ったような不安感? あ、少し近い。
ああ、これが親を亡くすということなんだな。
親を知らずに育った人は、もしや、こんな足元の欠落感を一生抱いているのか。
こんな気持ちが湧くとは思わなかった。
母から最後に受け取った、生の感情に違いない。
写真は、母の病院の裏手の散歩道。
千年の昔を偲ぶことができるような、美しい大和路だ。


拓け、道!
NHKの朝ドラ「あさが来た」がおもしろい。
朝ドラは、毎朝ちゃんと見たり、見たり見なかったりなのだが、
ここ数年でいうと、「毎朝ちゃんと見る」は、「あさが来た」、「あまちゃん」、
「花子とアン」、「カーネーション」かな。
やはり、道を自らの手で拓いていく女性の物語に惹かれる。
「あさが来た」では、気になるセリフが出てくる。
あさの姉のはつがよく口にする、「お家を守る」「お家のため」だ。
実は、この「~のため」という言い回し、嫌いという以上のアレルギーがある。
「お家」だけではない、「会社のため」や「学校のため」、
はては「お国のため」、どれも心が拒否をする
特に「お国」は最悪だ。
けれども、「あさが来た」を見て、少々考えを変えた。
この時代の女性が「お家のため」にがんばるのは、
自己を犠牲にして家に尽くす、と単純には決めつけられない。
それは、自己実現の道でもあったのだ。
ほかに社会参加のすべのなかった女性たちが、
おのれの能力を発揮できる場は、「家を守る」ことだった。
そう考えると、長い封建時代を生き抜いてきた女性たちがきらきら輝いてみえる。
男尊女卑、身分制度、家制度。
がんじがらめのなかで、それでも女たちは、働く。
それは自分のアイデンティティのためでもあったのだな。
そして、なかなか気づいてもらえないほどの細さであっても、
道を切り開いていくこともあったろう。
道を拓く女性を描いた物語
「アサギをよぶ声」三部作 森川成美 著 スカイエマ 絵 偕成社



時代は古代。娘ながら、ひそかに戦士としての修行を積んだアサギ。
やがて、村にふりかかる運命を変えていく要となる――。
簡潔な文章、キレのいい展開。
ああ、男子から「女のくせに生意気だ」と
目の敵にされていた小学生のころに読みたかったよー。
どれだけ勇気づけられただろう。
「レベレーション(啓示)」山岸涼子 著 講談社

フランスの百年戦争を舞台に、祖国の英雄から一転、
異端者として火あぶりにされた「ジャンヌ・ダルク」の一生を描く。
まだ一巻目、物語はまだこれからだ。
この時代のフランスの片田舎の雰囲気が味わえる。
朝ドラは、毎朝ちゃんと見たり、見たり見なかったりなのだが、
ここ数年でいうと、「毎朝ちゃんと見る」は、「あさが来た」、「あまちゃん」、
「花子とアン」、「カーネーション」かな。
やはり、道を自らの手で拓いていく女性の物語に惹かれる。
「あさが来た」では、気になるセリフが出てくる。
あさの姉のはつがよく口にする、「お家を守る」「お家のため」だ。
実は、この「~のため」という言い回し、嫌いという以上のアレルギーがある。
「お家」だけではない、「会社のため」や「学校のため」、
はては「お国のため」、どれも心が拒否をする
特に「お国」は最悪だ。
けれども、「あさが来た」を見て、少々考えを変えた。
この時代の女性が「お家のため」にがんばるのは、
自己を犠牲にして家に尽くす、と単純には決めつけられない。
それは、自己実現の道でもあったのだ。
ほかに社会参加のすべのなかった女性たちが、
おのれの能力を発揮できる場は、「家を守る」ことだった。
そう考えると、長い封建時代を生き抜いてきた女性たちがきらきら輝いてみえる。
男尊女卑、身分制度、家制度。
がんじがらめのなかで、それでも女たちは、働く。
それは自分のアイデンティティのためでもあったのだな。
そして、なかなか気づいてもらえないほどの細さであっても、
道を切り開いていくこともあったろう。
道を拓く女性を描いた物語
「アサギをよぶ声」三部作 森川成美 著 スカイエマ 絵 偕成社



時代は古代。娘ながら、ひそかに戦士としての修行を積んだアサギ。
やがて、村にふりかかる運命を変えていく要となる――。
簡潔な文章、キレのいい展開。
ああ、男子から「女のくせに生意気だ」と
目の敵にされていた小学生のころに読みたかったよー。
どれだけ勇気づけられただろう。
「レベレーション(啓示)」山岸涼子 著 講談社

フランスの百年戦争を舞台に、祖国の英雄から一転、
異端者として火あぶりにされた「ジャンヌ・ダルク」の一生を描く。
まだ一巻目、物語はまだこれからだ。
この時代のフランスの片田舎の雰囲気が味わえる。
ヨソの国のお料理
冬の台所は楽しい。
煮込み料理やとろとろポタージュや豚汁を、毎日のように作る。
自分の手を動かした料理ではあるが、
小さな炎と鍋が、コトコトと魔法のように、
みずからおいしく仕上げてくれるような気がする。
それにしても、日本人のなんと貪欲なことか。
都会では世界じゅうの料理が供され、
その余波は家庭にも及び、
日本の主婦の料理のレパートリー数を、世界一に押し上げていると思う。
そうさ、日本の主婦はえらいのだ!
ヨソの国の料理には、和食では思いもよらない調理方法が出てくる。
このところ作るようになったのは、アヒージョだ。
ニンニクや唐辛子を入れたオリーブオイルで、素材を低温で煮る。
揚げるのではない、油で煮るというのは和食にはないなー。
写真は、鰯とジャガイモのアヒージョ。

じっくり加熱された鰯が、ニンニクの香りと一体となり、ほくほくに。
この油を、ライ麦パンにつけて食べると、二度おいしい。
マッシュルームなどの茸のアヒージョも、やっぱり残ったオイルが激ウマ。
スペインでは、シラスウナギのアヒージョがあるそうだ。
さすがに高級料理で、一人前一万円以上らしい。
蒲焼王国・日本から見たら、悶絶しそうな料理だなあ。
食べてみたいなあ。
先週、ビーツの缶詰が手に入ったので、ボルシチを作った。
なんてきれいな赤。

いつものポトフでもビーフシチューでもない、
あっさりしながらも深いコクのある味に。
寒い時期には寒い国の料理がいい。
ビーツには血行をよくする成分がたっぷり入っているそうで、
「体内セルフ温泉」って感じ?
さあ、立春が過ぎた。寒さもあと少しで終わっちゃう・・・(寒いの好き)
煮込み料理やとろとろポタージュや豚汁を、毎日のように作る。
自分の手を動かした料理ではあるが、
小さな炎と鍋が、コトコトと魔法のように、
みずからおいしく仕上げてくれるような気がする。
それにしても、日本人のなんと貪欲なことか。
都会では世界じゅうの料理が供され、
その余波は家庭にも及び、
日本の主婦の料理のレパートリー数を、世界一に押し上げていると思う。
そうさ、日本の主婦はえらいのだ!
ヨソの国の料理には、和食では思いもよらない調理方法が出てくる。
このところ作るようになったのは、アヒージョだ。
ニンニクや唐辛子を入れたオリーブオイルで、素材を低温で煮る。
揚げるのではない、油で煮るというのは和食にはないなー。
写真は、鰯とジャガイモのアヒージョ。

じっくり加熱された鰯が、ニンニクの香りと一体となり、ほくほくに。
この油を、ライ麦パンにつけて食べると、二度おいしい。
マッシュルームなどの茸のアヒージョも、やっぱり残ったオイルが激ウマ。
スペインでは、シラスウナギのアヒージョがあるそうだ。
さすがに高級料理で、一人前一万円以上らしい。
蒲焼王国・日本から見たら、悶絶しそうな料理だなあ。
食べてみたいなあ。
先週、ビーツの缶詰が手に入ったので、ボルシチを作った。
なんてきれいな赤。

いつものポトフでもビーフシチューでもない、
あっさりしながらも深いコクのある味に。
寒い時期には寒い国の料理がいい。
ビーツには血行をよくする成分がたっぷり入っているそうで、
「体内セルフ温泉」って感じ?
さあ、立春が過ぎた。寒さもあと少しで終わっちゃう・・・(寒いの好き)
「児童文芸」新連載スタート、わわわ、緊張してます
「児童文芸」で、連載の創作物語を書かせていただいています。
今日発売の2、3月号から1年間、6回です。

イラストは、山田花菜さん。題字デザインは、吉成誠さん。
「非時香菓 時じくの香の木の実」という、ヘンな名前の物語です。
内容も、たぶんヘンだと思います(おいおい)。
「非時香菓」は古事記の一節に出てくる、由緒正しき木の実。
えらい大きくて重たいものを取りこんでしまったものよ。
うおー、ばりんばりん緊張しています。
さて、前半の舞台は山梨県の山奥。父の故郷です。
父は六五歳の若さで亡くなりました。
そのころ、わたしはまだ子育てに追われていて、
何も書いていませんでした。
もし父が生きていたら、故郷のイメージで物語を書いたことを
喜んでくれるかな?
父の故郷の方言は、ちょっと面白い響きです。
「〇〇〇ずら」という語尾が、静岡などにありますが、
それがこの山村では「〇〇〇るら」になるのです。
父の兄弟姉妹もすでに亡く、従兄弟たちはほぼ標準語。
こんな方言も、だんだん消えていってしまうのでしょうね。
惜しくて、作中の会話に使いました。
なかなかいい感じるらよ~。
数年前に父の故郷を訪問したときに映した、
本栖湖周辺から見た4月の富士山。

静岡側から見るのと、やっぱりちょっと違うかな。
今日発売の2、3月号から1年間、6回です。

イラストは、山田花菜さん。題字デザインは、吉成誠さん。
「非時香菓 時じくの香の木の実」という、ヘンな名前の物語です。
内容も、たぶんヘンだと思います(おいおい)。
「非時香菓」は古事記の一節に出てくる、由緒正しき木の実。
えらい大きくて重たいものを取りこんでしまったものよ。
うおー、ばりんばりん緊張しています。
さて、前半の舞台は山梨県の山奥。父の故郷です。
父は六五歳の若さで亡くなりました。
そのころ、わたしはまだ子育てに追われていて、
何も書いていませんでした。
もし父が生きていたら、故郷のイメージで物語を書いたことを
喜んでくれるかな?
父の故郷の方言は、ちょっと面白い響きです。
「〇〇〇ずら」という語尾が、静岡などにありますが、
それがこの山村では「〇〇〇るら」になるのです。
父の兄弟姉妹もすでに亡く、従兄弟たちはほぼ標準語。
こんな方言も、だんだん消えていってしまうのでしょうね。
惜しくて、作中の会話に使いました。
なかなかいい感じるらよ~。
数年前に父の故郷を訪問したときに映した、
本栖湖周辺から見た4月の富士山。

静岡側から見るのと、やっぱりちょっと違うかな。